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【受給事例】case

【小児性脳性障害・脊柱管狭窄症】(50代・男性)

認定結果:障害基礎年金2級(初めて2級)

発病から請求までの経緯

 男性は出生直後、重度の黄疸があり脳及び運動機能に障害が残存しました。

 小学校へ入学後は運動機能障害により体育の授業は全て見学、またすり足歩行のため学校から多くの配慮を受けながら学校生活を送りました。

 また、男性は言語機能障害も有していたため、発話が困難でしたがこれも担任や周囲の同級生から配慮を受けていたため大きな支障となることはありませんでした。

 中学及び高校でも同様に配慮を受けながら生活しましたが、将来を見据え高校3年時に肢体障害及び言語障害にて身障手帳交付となります。

 その後男性は障害者枠で就職。

 何とかできる範囲の業務をこなしていましたが、30歳の頃、腰痛及び下半身の痛みが出現します。

 小児麻痺による痛み(長年の無理な姿勢での歩行等)であると考え長期間病院を受診しませんでしたが、50歳を迎えた頃、腰痛が我慢できないほどの痛みとなりA病院を受診。

 その後経過観察行いましたが、麻痺症状出現したため骨盤の固定術施行となりました。

 その後も定期通院行い、痛みがひどいときはブロック注射を行いました。

 現在は下肢の筋力が低下しており階段の昇降も困難です。

社労士の見解

 この男性は2つの傷病を有していましたが、まずは小児性脳性障害のみで2級に該当しないかを考える必要があります。
 また2級該当となった場合は、加えて20歳に遡って認定日請求ができないかどうかについても検討しなければなりませんが、今回のケースは診断書の傷病名に「小児性脳性障害」と「脊柱管狭窄症」の二つの傷病が記載されました。
 小児性脳性障害は20歳前障害のため障害基礎年金、一方脊柱管狭窄症は厚生年金加入期間中の傷病であるため、障害厚生年金となり年金制度が異なります。
 そのためこの診断書をそのまま提出すると傷病が混在しているという理由から却下されることは明らかでした。
 当然2つの傷病を分けて考えることはできないため脊柱管狭窄症のみで障害厚生年金として請求することもできません。
 そこで「初めて2級」という請求方法に切り替えることにしました。
 男性は幼少期より小児性脳性障害による言語障害も有していたため、「小児性脳性障害による言語機能障害+肢体障害」を前発障害として、「脊柱管狭窄症による下肢障害」を後発障害として初めて2級を行いました。

結果

 小児性脳性障害による言語障害が3級相当であったため、無事二つの傷病を合わせて2級認定を得ることができました。
 この初めて2級は優先的に行う請求方法ではありませんが、二つの傷病が混在しておりどちらか一方の傷病だけではどうしても請求できない場合に用いることがあります。
 2つの障害を有していればどんな場合でも初めて2級で請求することができるわけではありませんが、今回は言語障害と肢体障害がそれぞれ3級相当の診断書であったため初めて2級を行うことができました。

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【単心室・単心房・共通房室弁・無脾症候群】(20代・男性)

認定結果:障害基礎年金2級(遡及)

発病から請求までの経緯

 Iさんは生下時より多呼吸と哺乳不良があり呼吸不全のためA病院へ入院。心エコー検査の結果、先天性心疾患が認められました。

 ただちに専門的治療を要したためB病院へ転院。再度心エコー検査の結果、「単心室・単心房・共通房室弁・無脾症候群」との診断で医師より命の危険を指摘されました。

 症状は重篤で生後1ヶ月で肺動脈絞扼術施行。

 その後は入退院を繰り返したため保育園や幼稚園に通園することはほとんどできず、Iさんには6歳の頃、心臓機能障害の身障手帳1級が交付されました。

 小学校入学後も症状は芳しくなかったため、Iさんが8歳の頃10時間以上にも及ぶフォンタン型手術及び共通房室弁形成術が施行されました。

 高校生の頃には心カテーテル検査が実施され、上行大動脈の拡張や房室弁の逆流が見られたためより慎重な経過観察が必要となります。症状も重篤であったことから自宅では酸素吸入器を使用。疲れやストレスがたまると不整脈があり学校生活もままなりませんでした。

 その後Iさんは大学卒業後障害者枠で一般企業に就職。不整脈に加え疲労がたまると動悸やめまい、立ちくらみといった症状に見舞われるため会社からも大きな配慮を受けています。

 症状が芳しくない時は休職し1ヶ月以上入院しなければならないときもあり、現在も突然の激しい動悸や不整脈が多く出現しており医師からは今後高確率で心不全が進行するとの指摘もあります。

社労士の見解

 Iさんは新規裁定において自身で認定日請求を行い、認定日及び事後ともに不支給となっています。
 審査請求より当事務所に依頼があり受任。不支給理由について障害年金センターに問い合わせると「検査数値が認定基準に達していないため」との回答でした。具体的にどの検査数値のことか尋ねると「複雑な事例のため答えることができない」との返答でした。
 新規裁定にて提出した診断書を確認すると確かに2級に相当するかしないかのボーダーラインではありました。
 認定医によっては検査成績が微妙なラインであることに加え5年を遡る認定日請求であること、また就労していたこと等を鑑み不支給にされた可能性もあります。
 このような場合、認定基準に照らし合わせどの数値が2級以上に該当しているのかを丁寧に書き出し、またどの程度就労に制限があるのかを訴える必要があります。
 また審査請求で認定が覆る確証がなかったため、新規裁定後Iさんが入院による加療を行っていたことから予備的に新しい診断書を取得し再請求も行いました。

結果

 結果は審査請求分の決定前に再請求分が2級に認定されました。
 その後審査請求についても原処分変更となり認定日当時も2級であることが認められました。障害年金センターは不支給理由について「検査成績が基準に達しておらず、また複雑な事例のためどの検査数値が達していないかについては答えられない」とのことでしたが、このような返答から機構側は認定基準についてよく理解していなかった可能性もあります。
 特に遡及請求をする場合や就労が絡むケースでは機構側もより慎重な姿勢で診査を行うため、新規裁定時から診断書のどの部分が等級に該当しているのか、また就労状況についてどの程度の配慮を受けているか等、しっかりと説明しておく必要があります。

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【脳梗塞】(60代・男性)

認定結果:障害厚生年金2級(遡及)

発病から請求までの経緯

 Oさんは仕事中、突然手や足、顔面に違和感を覚えました。徐々に痛みが増し意識を消失。すぐにX病院へと搬送され、何とか意識を取り戻しましたが激しい痛みに襲われます。

 頭部MRI撮影により新鮮梗塞が認められました。

 その後Oさんは身体麻痺に加え記憶障害等が出現。1週間ほど薬物治療が行われましたが一向に改善する様子なくY病院へ転院となりました。Y病院にて精密検査を行ったところ、右脳幹梗塞との診断で医師より手術は不可との説明を受け体には左不全麻痺が残存しました。

 Oさんはただちにリハビリによる通所を開始。若干の機能回復が見られたものの、左上肢は機能全廃となり著しい機能障害が残りました。

 Y病院の医師はこの時点で症状固定であると判断し、発症から約8ヶ月後の平成××年×月×日を症状固定日とし身障手帳交付となりました。

 Oさんは現在左半身に麻痺が残存しているため右半身に頼る生活を余儀なくされています。歩行時はT字杖を使用しており、多くの日常生活動作に制限が加わっています。

 

社労士の見解

 Oさんの場合、症状固定と判断され身障手帳が交付された際、市役所や病院等から障害年金制度のアナウンスがなかったため長期にわたり請求が行われていませんでした。
 そのため認定日請求を行うことにしましたが、Oさんは認定日が到来する前に平成××年×月×日にすでに症状固定となっていたためこの日を認定日として認定日請求を行いました。
 Y病院に認定日当時の診断書記載を依頼しましたが、当時の医師が在籍していない、また病院の方針として過去の診断書は記載不可といった理由から診断書の取得が叶いませんでした。そのため認定日当時の診断書の代替として身障手帳の診断書を日本年金機構に提出することにしました。

結果

 平成××年×月×日が症状固定とされたにも関わらず、身障手帳の診断書と現症の診断書を比較すると現症診断書のほうが重かったのです。
 症状固定とされたにもかかわらず現在の症状がより重篤であるという矛盾に加え、障害年金用の診断書を提出できないということもあり、長期にわたる争いが予想されたため、別紙申立書に筋力測定の様子から認定日当時は少なくとも3級に該当していたということを強く訴えました。
 認定結果は認定日当時2級、現症も2級という決定でした。
 このように認定日当時の診断書が用意できない場合でも当時の障害状態が推察できるだけの公的資料があれば認定の可能性があることが明らかになった事例でした。

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【卵巣ガン・転移性肺ガン】(60代・女性)

認定結果:障害厚生年金3級

発病から請求までの経緯

 Mさんは20代の頃、会社の健診にて卵巣に若干の腫れがあるとの指摘を受けます。特に精密検査の指示はありませんでしたが、念のためクリニックを受診すると医師からは良性のため現時点で問題はないとのことでした。

 その後数十年が経ち、Mさんが50代を迎えた頃、20代の頃に卵巣の腫れを指摘されたことを思い出し再度精密検査を受けます。MRI検査を行った結果、両側の卵巣嚢腫が5cmであることが分かります。しかし、現時点で治療の必要はないとのことでその後経過観察を行いました。

 Mさんが60代を迎えた頃、突然下腹部に膨満感を自覚します。MRI検査を行うと卵巣嚢腫が12cmに肥大していることが判明しました。悪性化が疑われたため専門病院で検査を行うと、卵巣ガンであることが告げられました。その後やむなく子宮を摘出。すぐに化学療法が施行されましたが副作用が強く、やむなく中断。1年ほど経過観察を行いましたが次は肺への転移が判明します。

 前回の副作用から女性の強い希望により化学療法は断念し、右肺切除術施行となりました。

 現在Mさんは倦怠感や動悸・息切れが激しく、起床時には手のむくみで物がつかめない等の症状に悩まされています。また体力が低下してきたため会社から時短措置等の配慮を受けていますが、昼休憩には昼食を取ることもできず、度々休憩室で横にならなければなりません。

 休日は外出はおろか自宅を歩き回ることもできず、1日ベッドで臥床するといった状況が続いています。

社労士の見解

 Mさんは初診当時厚生年金に加入していたため3級でも請求が可能でした。認定日当時は通院及び治療を継続していましたが、フルタイムで勤務しておりまだ3級程度の障害状態ではなかったため事後重症で請求を行うことにしました。
 請求時点でもMさんは就労継続していたため申立書に生活状況及び就労状況に関する申立書を作成する必要がありました。

結果

 障害厚生年金3級決定となりました。
 最初主治医が作成した診断書を見ると、「一般状態区分表」は「イ」に丸が付されていました。しかし、Mさんの生活状況を鑑みると、「イ」より重症度の高い「ウ」が適切であると考え医師にMさんの詳しい生活状況申立書を提出。すると医師の理解を得ることができ「ウ」に変更がなされました。

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【網膜色素変性症(再審査請求)】(50代・女性)

認定結果:障害基礎年金2級

発病から請求までの経緯

 Cさんは網膜色素変性症の初期症状である夜盲(暗所での見えづらさ)が小学生の頃から出現していました。学校の帰りが遅くなり辺りが暗くなると同級生に手を引かれ帰ることもしばしばありました。

 そんな折、小学校の健康診断で眼の異常を指摘されます。この時すでに兄弟が同じ網膜色素変性症を発症しており、同じ病気であることが疑われました。健康診断の後、自宅近くの病院を受診するとやはりここでも医師より網膜色素変性症である可能性が高いと告げられました。紹介状を持って大きな病院で精密検査をすると、やはり網膜色素変性症であるとの診断でした。しかし当時はまだ難病指定もされておらず、当然治療法もなかったためその後長期にわたり通院することはありませんでした。
 Cさんは夜盲の症状があったものの特に生活に支障を感じることなく過ごします。就職、結婚、子育てと多忙な日々を過ごす中眼科へは何度か通院しましたが治療法がないことから何度も病院から足が遠のきました。その間も夜盲は進行し、徐々に仕事にも支障が出始めました。

 Cさんは現在も何とか周囲の援助を受けながら仕事を継続しています。

社労士の見解

 Cさんは20歳以降の納付要件を満たしておらず、審査は厳しいものになると思われました。しかし20歳前に眼科を受診したことは事実であったため10代の頃の初診を証明する準備に取り掛かりましたが、やはり当時の病院にはカルテが残されていませんでした。
 そこで当時の状況をよく知る第三者に証言してもらうことにしました。第三者証明に協力して頂いた方の中には当時の学校の先生等もいらっしゃいましたが、それでも再審査請求までもつれ込むことが予想されました。

結果

 予想していたように新規裁定は却下、審査請求でも棄却されました。このように保険料納付要件を満たしていない場合、たとえ20歳前に初診日があったことが事実であっても審査は難航します。これは保険料を納めていないことから無理やり保険料納付要件のない20歳前の初診日を主張していると捉えられることがあるからです。
 案の定、保険者は20歳以降に受診した眼科が初診であるとして請求を却下しました。しかしながら、初期症状である夜盲がすでに10代の頃から出現していたこと等を強く訴え、最終的に再審査請求の公開審理日直前に保険者より原処分を変更するとの連絡がありました。
 結果、無事障害基礎年金2級の決定となりました。

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【うつ病(審査請求)】(30代・女性)

認定結果:障害基礎年金2級

発病から請求までの経緯

 Sさんは小学生の頃より落ち着きがなく授業に集中できない時期が短期的にあり、高校に上がると学校で頻繁に尿意を催すようになりました。心配した両親が心療内科を受診させたところ、心因性のものであると判断され、すぐに服薬治療が開始されました。一時的に身体症状は改善し、精神的にも落ち着きを取り戻しましたが、高校を卒業し大学に入学した頃より症状は再燃。登校することはもちろん単なる外出でさえも強い不安を感じるようになります。この頃から家族ともよくぶつかるようになり、実家での生活も居心地が悪くなっていました。やがて症状悪化のため入院となります。しばらく加療を行い退院しましたが、その後も症状は寛解と憎悪を繰り返しました。

 そんな折、別病院を受診したところ主治医との相性が良く、服薬も順調で症状は徐々に軽快。就労意欲もわき始め、就職活動を開始します。その後無事就職。しかし家族との衝突による精神的負担がなくなることはありませんでした。

 そんな折、医師やケースワーカーから家族と少し距離を置いた方が今後のためであるとの勧めもあり、実家から離れることを決断しました。しかし突然の単身生活には不安もあったため、病院近くのシェアハウスへ入居することになりました。

 家族から離れ順調に社会復帰へと前進しているかに思われましたが、就職から2年が経過した頃、徐々に仕事が立ち行かなくなります。不眠・抑うつが出現し、症状再燃。仕事から帰ると食事や入浴をすることもなくすぐにベッドへ倒れこみ、休日は一歩も外出することができません。
 その後やむなく退職。退職後はシェアハウスに同居する友人たちに食事の用意をしてもらったりと援助を受けながら生活を続けました。しかし間もなく再び数ヶ月の入院となりました。

社労士の見解

 Sさんは障害年金請求時、入院中ということもあり診断書は十分障害等級に該当していました。ただ、シェアハウスでの生活が単身生活であると捉えられないよう(単身生活であるかどうかが審査の対象となる場合があるため)十分注意しながら日常生活状況等も合わせて申立書の作成を行いました。

結果

 新規裁定はやはりシェアハウスでの生活が単身生活であるとされ、不支給決定となりました。しかし不支給決定された時点でSさんはシェアハウスを退去し、実家へと転居していたため審査請求と再請求を同時に行いました。ほどなく審査官から原処分が変更となったため審査請求を取り下げてほしい旨の連絡があり、障害基礎年金2級決定となりました。
 なお、審査請求が認められたため再請求も取り下げました。

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【末期腎不全】(50代・女性)

認定結果:障害基礎年金2級

発病から請求までの経緯

 Nさんは突然下腹部痛に襲われました。少しの間様子を見ていましたが、我慢できないほどの痛みになり、血尿も認められたためすぐにA病院を受診。その日は嚢胞腎との診断で数日間入院しましたが、その後特に治療を要さず経過観察となりました。

 それからおよそ10年後、Nさんはまた下腹部に強い痛みを感じました。高熱も伴い、すぐにB病院へと救急搬送。検査の結果、腎盂腎炎とのことでまた数日の入院となりました。その後経過観察を行いましたが特に体調に異常はなく生活に支障をきたすことはありませんでした。

 しかし数年後、みたび下腹部痛となりC病院へ救急搬送。精密検査の結果、急性胆嚢炎、多発肝嚢胞、多発腎嚢胞を併発していることが分かりました。その後Nさんの症状は徐々に悪化。腎機能の低下、並びにクレアチニン値の上昇が認められ内服療法となります。尿毒症の症状も見られたため直ちに腹膜透析が開始されることになりました。

 Nさんは現在貧血や食欲低下といった症状が散見され、日常生活及び労働能力に支障をきたす状態です。また1日8時間の腹膜透析を欠かすこともできません。

社労士の見解

 A病院にはすでにカルテがありませんでした。しかしその後10年間受診歴がなかったことに加え、B病院にもカルテは残されていなかったものの生命保険の入院給付金支払い記録を取り寄せることができたためB病院を初診として請求することにしました。

結果

 障害基礎年金2級決定となりました。

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【左上顎ガン】(50代・男性)

認定結果:障害厚生年金1級

発病から請求までの経緯

 Aさんは自宅にて突然鼻血が止まらなくなり、近くの病院にて応急処置を行いました。その日は痛み止めと止血剤を処方され、自宅へと戻りましたが数日経っても頬や鼻部辺りの痛みが治まりません。再度応急処置を行った病院を受診しましたが、原因が分からず別病院へと紹介。そこで精密検査を行った結果、医師より左上顎ガンであると告知されました。早急に手術が必要であるとの説明があり、即入院。

 入院後すぐに腫瘍を取り除く手術が行われ、放射線治療及び抗がん剤治療が開始されました。抗がん剤治療開始後1年ほど経ったとき、さらに転移が認められ左上顎と左眼の摘出を余儀なくされます。その後再建術を行いましたが、眼から顎部にかけ顔の左部分全体を失う形となりました。

 その後も抗がん剤治療継続し、転移が見つかっては腫瘍切除し入退院を繰り返しました。Aさんは左顎を摘出したことで食べ物を嚙むことができず、栄養剤の注入で食事を行っています。また声を継続して発することができず、会話する際は相手に言葉を聞き取ってもらうことができません。発語困難のため身振り手振りで意思疎通を図りますが、やはり難しく電子機器に文字を入力し意思疎通を行っています。

 また抗がん剤治療の副作用として、倦怠感や吐き気、極度の眠気、手足のしびれや悪寒等があり、会社の配慮を受けながら就労を継続していますが欠勤が多く満足に働ける状態ではありません。

社労士の見解

 Aさんの場合、ガンによる言語障害のため「その他」ではなく「言語・嚥下」障害として請求を行いました。病歴・就労状況等申立書の他に治療・手術歴や生活状況を記した別紙申立書を添付しました。

結果

 言語・嚥下だけではなくおそらく総合認定が行われたとみえ、障害厚生年金1級決定となりました。

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【腰椎椎間板ヘルニア】(40代・男性)

認定結果:障害厚生年金3級

発病から請求までの経緯

 Fさんは起床時、突然腰に痛みを感じました。腰の痛みは日に日に増し、加えて左足にしびれが伴うようになりました。心配に思ったFさんは整形外科を受診。精密検査の結果、ヘルニアであることが分かりました。すぐに薬物療法を開始しましたが、全く効果がありません。そのためより専門的な病院へと転院。医師より腰椎椎間板ヘルニアであることが告げられました。

 すぐに手術が必要とのことで、即入院後ヘルニア摘出術が行われました。術後の経過は思わしくなく、歩行すら困難です。仕事にも支障をきたし始めたため長年勤めてきた会社をやむなく退職。その後も腰痛や下肢の痛みは治まらず、薬物治療やリハビリ行うも改善は見られませんでした。

 Fさんはより専門的な治療を行うため別病院へ転院。そこでブロック注射やボルト埋込術等が行われました。それでも激しい腰痛及び下肢痛は治まることはありませんでした。

 Fさんは現在もリハビリを継続していますが、下肢には感覚麻痺が残存し5分以上の歩行は不可能です。常に杖を手放すことができず、激しい腰痛及び下肢痛のため就労すら困難な状態です。

 

社労士の見解

 Fさんが通院する病院は主に対処療法を行ういわゆるペインクリニックでした。そのため診断書作成にあまり協力的ではなく、適切な診断書を作成してもらえる病院探しからスタートしました。 ほとんどの傷病において、数度の診察ですぐに診断書を書いてもらえるケースは少なく、Fさんも自宅近くの整形外科にて数ヶ月の通院ののちようやく診断書の作成に至りました。

結果

 無事、障害厚生年金3級決定となりました。Fさんの場合、主な症状は腰痛や下肢痛といった「痛み」によるものです。障害年金は単なる疼痛による障害は原則として認められていません。そのため医学的な根拠に基づき、神経の損傷からくる疼痛であるということをしっかりと申し立て請求を行いました。

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【肺ガン・転移性脳腫瘍】(40代・女性)

認定結果:障害厚生年金3級

発病から請求までの経緯

 Cさんは自宅にて突然激しい頭痛に襲われました。意識は遠のき、うまく発語することができません。文字も理解できなくなり、家族に連れられすぐに病院を受診しました。CT撮影をした後、別病院ですぐにMRI撮影が行われました。すると医師から「脳に病巣がある」と告げられました
 その後、再びCT撮影を行ったところ肺に黒い影があり、肺ガンの可能性を指摘されます。原発巣はこの肺ガンであり、脳に転移したものと考えられました。このときCさんはすでにステージ4。末期の状態でした。

 すぐに抗がん剤治療が開始されます。まずは脳転移対処のためガンマナイフ治療が行われました。薬の副作用で言葉をうまく発することができず、失語状態となります。また体重は10キロ近く増加し、体中の関節が痛み体を動かすことができません。

 抗がん剤治療継続しましたが、その後肺ガンが更に進行します。視力が落ち、目の前が見えづらくなりました。また、味覚障害が出現。味が全て酸味に変わり食欲が減退します。食欲がなく食べていないにもかかわらず体のむくみにより体重はさらに増加。また立ちくらみや頭を圧迫するような感じが常に続き、自宅から出るどころか一人で立ち上がることさえ困難となります。ガンマナイフ治療を繰り返したせいか、意識がはっきりしないことが多く人の顔を認識することができなくなります。ついさっき会ったばかりの人も数分経つと誰だったのか分かりません。頭痛もひどく、毎日頭が割れるような痛みに襲われ、嘔吐し記憶を失うことも多々ありました。
 その後Cさんは自分に合う抗ガン剤治療が見つかり、状況は改善。比較的穏やかな生活を送れるまでになりましたが、やはり就労できる状態にはなく障害年金の請求へと踏み切りました。

社労士の見解

 ガンで障害年金を請求する場合、抗ガン剤治療による副作用や後遺症がどれだけ日常生活に支障をきたしているかということが大きなポイントとなります。そのため、申立書や診断書だけではなく別紙申立書にCさんの日常生活状況を事細かく 示す必要があります。

結果

 認定日請求を行いましたが、現症の診断書が上記のような日常生活状況が反映されたものではなかったため医師に訂正依頼を求めました。結果障害厚生年金3級決定となり、数年分がさかのぼって支払われました。

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【特発性心筋症・心室細動】(40代・男性)

認定結果:障害厚生年金2級

発病から請求までの経緯

 Sさんは元々高血圧があり、頭痛や動悸等が度々現れることがありました。そんな折、Sさんに異常が指摘されたのは会社の健康診断でのことです。心室期外収縮が疑われ、ただちに精密検査を受けるよう指示があったのです。

 Sさんは仕事が忙しく、また特に深刻な事態だと思うこともなく数ヶ月の間放置。まとまった休みが取れたところでようやく受診へと至りました。その際心臓超音波検査が行われ、医師より左室拡大を指摘されます。すぐに別病院へ転院。検査入院の結果、心筋症の疑いがあると告げられました。
 
 その後は定期的に通院し、経過観察を行いましたがSさんの状態は徐々に悪化します。体のだるさに加え、激しい動悸や息切れが多く思うように運動することができません。そんな折、Sさんは突然心臓発作を起こし救急搬送されます。数日の間意識が戻らず、集中的な治療が行われました。意識が回復したあとはCRT-D埋込術施行。

 Sさんは現在も薬を服用しながら経過観察を行っています。

社労士の見解

 Sさんの場合、初診日より数ヶ月前に健康診断での指摘がありましたが、初診日は健康診断のあと実際に受診した病院となります。
 また、障害年金は原則として初診日から1年半経過後(障害認定日)でなければ請求できませんが、CRT-Dを埋め込んだ時点で症状固定となり、1年半を待たずして請求することが可能です。

結果

 障害厚生年金2級決定となりました。Sさんが健康診断のあと受診した病院(当該傷病における初診)は発症前からの掛かり付け医であったため、あくまで今回の障害における初診日を記載してもらうよう病院側に説明を行いました。

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【心室頻拍】(40代・男性)

認定結果:障害厚生年金3級

発病から請求までの経緯

 Iさんは数年前から階段の昇り降りや激しい運動をすると強い動悸を起こし、度々動けなくなることがありました。最初Iさんは仕事の疲れからくるものと思い放置していましたが、症状が続くため不安に思い循環器内科を訪れました。

 すぐに心電図での検査が行われ、医師からは心室粗動であることが告げられました。その後電気的治療が開始されます。数ヶ月の通院により、正常値を取り戻し症状は回復。治療を終え、無事終診となりIさんは日常生活へ戻ることができました。

 しかしその数ヶ月後、再び激しい動悸に襲われ、救急搬送となりました。しばらくの間様子を見ていましたが、改善する気配はありません。医師からは心室頻拍であるとの診断で、ICDの植込みが必要であると告げられました。

 その後ICD移植術施行。Iさんは日常生活に大きな支障はないものの、当然激しい運動はできず、仕事においても短時間労働にするなど会社からの配慮を受けなければならない状態です。

社労士の見解

 障害年金ではICDを植え込むとその時点で3級に該当します。しかしIさんの場合、10代の頃に先天性の心疾患により根治手術を受けており、このことが診断書の既往症の欄に記されていました。
 同じ循環器障害のため、10代が初診とみなされると障害基礎年金となり3級該当となりません(障害基礎年金は2級までしかないため)。そのため10代の頃に手術を受けてから通院歴がなかったこともあり社会的治癒により打ち消す方法を選択しました。

結果

 障害厚生年金3級決定となりました。今回のケースのように診断書の既往症欄に何らかの傷病名が記載されるケースはよくあります。現在の傷病名との因果関係があるのか、もしある場合はこれまでの治療歴や通院歴を整理して初診日を慎重に判断しなければなりません。

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【脳挫傷】(60代・男性)

認定結果:障害者特例

発病から請求までの経緯

 Sさんは仕事中に階段から転落し、地面に全身を強く打ち付け深刻な状態のまま病院へと救急搬送されました。すぐに緊急開頭手術が行われ、なんとか一命を取り留めることができました。術後は自ら食事を取ることができるようになりましたが、後遺症として失語症と下肢の運動麻痺が残ったのです。

 Sさんはリハビリのため転院。当初歩行は困難で平行棒などの補助具なしで歩くことはできませんでしたが、2ヶ月に渡りリハビリを行ったところ、伝い歩きにまで回復することができました。しかし依然として言語障害は強く残存する状態となりました。

 その後自宅療養開始。Sさんは言語野がひどく損傷しているため、単語や文章を理解することができず、発語もほぼ不可能な状態です。そのため、自分の妻や子どもであることは認識できても名前が出てきません。家族と会話をする際はボディランゲージとわずかな単語でお互いに意味を推察しながら意思の疎通を図ります。

 また、数字を認識することができないため、簡単な計算やお金の数え方が分からず自分一人で買い物することもできません。以前までできていた車の運転操作や趣味で行っていた日用大工なども全て失念しています。

 Sさんは現在も自宅で療養中ですが、医師からはこれ以上回復する見込みはないと言われています。

社労士の見解

 Sさんは障害年金を請求する時点で労災を受給していました。障害年金と労災は併給の調整対象となります。そのため、受給額は障害年金より少ないものの障害者特例を請求することにしました。障害者特例と労災は併給調整されないため、両方とも全額受給することができます。

結果

 障害厚生年金2級の決定となり、障害者特例を選択しました。上記のように併給調整や税金関係等を考慮に入れ、金額の多い少ないにかかわらず、総合的に一番ベストな組み合わせを選択しなければなりません。

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【S状結腸ガン】(50代・女性)

認定結果:障害厚生年金2級

発病から請求までの経緯

 Cさんは数年前より強い疲労感が続き、加えて息切れや立ちくらみといった症状に悩まされていました。そんな折、突然激しい腹痛を起こし内科を受診しました。腹部エコーの検査を行ったところ、医師から「肝臓がんの疑いがある」と告げられたのです。

 より詳しい検査を受けるため内科から別病院へと転院。精密検査の結果、S状結腸ガンとのことで、この時すでに肝臓への転移も確認されました。Cさんは直ちに入院し、抗がん剤治療を開始。休職していた仕事をやむなく退職し、治療に専念することになりました。

 抗がん剤を投与するとすぐに副作用が表れ、吐き気がひどく食べられない日が続きました。体重はあっという間に激減し、一人で起き上がることさえ困難な状態になりました。

 その後薬の種類を変えましたが、それまでの副作用に加え腹痛、さらに激しい吐き気が生じました。耐えかねたCさんはすぐにその薬を中断し、また違う種類の抗がん剤を投与することになりました。

 その後も副作用で顔中に湿疹が広がり、手はひび割れて血だらけになりました。手足の末梢神経にも障害が出現し、常に寒さを感じるようになり、冷たいものに触れることが出来ず、コップを持ったり洗面、また入浴時にも支障をきたしました。起床時は手足が痛く階段の上り下りができないため、自宅の1階に医療用ベッドを設置し、そこで1日のほとんどを過ごしました。

 現在も抗がん剤治療を継続していますが、医師からは余命1年前後と言われています。

社労士の見解

 Cさんの場合副作用がひどく、その副作用によりどれだけ日常生活に支障をきたしているかを徹底的に申立書にまとめました。また医師に手紙を添え、障害年金請求する上で適正な診断書となるようCさんの生活状況を事細かく伝えました。

結果

 医師が作成した診断書を見ると表面の一般状態区分表が(ウ)となっていたため、3級を予想していましたが、障害厚生年金2級決定となりました。病歴・就労状況等申立書以外にも別紙申立書等総合的な判断で2級決定されたものと思われます。

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【慢性腎不全③】(30代・男性)

認定結果:障害厚生年金2級

発病から請求までの経緯

 Iさんは私の元へ来られる前に別の社労士に請求依頼をし、不支給決定を受けていたため、審査請求からスタートとなりました。

 Iさんから預かった不支給決定通知を確認すると、「初診日が特定できないこと」が不支給理由となっていました。新規請求の際に提出したコピーを見ると、初診の医療機関にカルテが残っておらず初診証明が添付できない申立書があり、その中に証明できる参考資料として診察券にチェックが付されていました。しかし、その診察券には初診日付の記載がなく、それだけでは初診証明としては不十分であると思われました。そこで他に参考資料がないか初診の病院に問い合わせたところ、当時の入院記録が残っていることが分かりました。

社労士の見解

 新しい認定基準の中で、相応の資料が添付された本人申し立てによる初診日の前後において、納付要件に問題がなければ十分認められるといった通達があったため、そこを審査官に訴えるように審査請求を行うことにしました。
 また審査請求するにあたり上記の資料だけで十分闘うことができると考えられましたが、日本年金機構により20歳以降の第三者証明も認められるといった通達があったため、当時の会社の上司と同僚に入院した際の様子を証言してもらい、それを第三者証明として提出しました。

結果

 すぐに近畿厚生局より原処分変更の通知が送付され、結果障害厚生年金2級の決定となりました。今回の審査請求は精神疾患やガン疾患のように障害状態を訴えるものではなく、「初診日はいつか」といったことに焦点を当てた請求となりました。

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【特定不能の認知症】(60代・男性)

認定結果:障害厚生年金3級

発病から請求までの経緯

 Nさんは20代の頃から派遣会社で働き始め、派遣先の会社を何度も変えながら現在まで勤めてきました。50代のときに新たにA社に就職。入社後は周りの同僚と同じように仕事をこなしていましたが、6年目の時に突然、仕事中何度も同じことを聞いたりミスが続くようになりました。大事な書類の保管場所を忘れたり、大事な得意先との約束を忘れたりといったことが多くなりました。

 その様子を見ていた上司が不審に思い、「一度病院で検査をした方がいい」と勧めたのです。Nさんはすぐに病院でMRI検査を受けました。すると、医師から健忘症と診断されたのです。

 その後なんとか仕事を継続していましたが、注意力散漫が続きやはり仕事上のミスは減りません。Nさんはやむなく退職。退職後も最初の病院で経過観察を行っていましたが、より詳しい検査を受けるため転院。2つ目の病院で精査の結果、医師より若年性の認知症と診断されました。

 Nさんは単身生活であったため、一人での生活に強い不安を感じましたが、実家に暮らす両親は高齢で兄が面倒を見ていたため、家族への気遣いから実家に戻ることもできません。このことを市役所に相談したところ、職員から福祉サービスを利用するように言われ、週に一度ヘルパーが自宅へ訪問するようになりました。しかし、ヘルパーが部屋の清掃等身のまわりの世話をしても1週間経てば部屋は散らかり放題、このような状態が何ヶ月も続きました。Nさんは徐々に経済的にも不安定になってきたため、収入を得るため自分にもできる軽作業の仕事を始めました。週5日、14時間の仕事です。

 しかしながら、物忘れが激しく単身での生活は厳しい状況です。

社労士の見解

 Nさんは障害年金を請求する時点で一人暮らしをしており、障害者雇用枠で再就職をしていました。精神障害の場合、単身で生活していること、また就労していることは審査を受けるうえで大きな障壁となります。そのため診察の際、病院に同行し主治医にこれまでの経緯や生活状況、またNさんの仕事内容等事細かく説明した上で適正な診断書の作成に至りました。病歴・就労状況等申立書以外に専門家の視点を取り入れた別紙申立書も添付しました。

結果

 障害厚生年金3級の決定となりました。  また、このNさんの場合障害厚生年金3級が決定したため、次の誕生日で特別支給老齢厚生年金による障害者特例が発動します。今回はそこまでを見据えた障害年金請求となりました。

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【線維筋痛症】(40代・女性)

認定結果:障害基礎年金2級

発病から請求までの経緯

 Yさんは20代の頃、排尿時に膀胱に痛みがあることを自覚しました。病院で検査を受けると医師より「膀胱炎である」との診断を受けました。数年の間その病院に通院し服薬治療を行いましたが排尿時の痛みは改善せず、別病院へ転院。そこで精密検査により医師から「間質性膀胱炎である」と告げられました。

 その後、治療により入退院を繰り返しますがやはり症状の改善は見られず、排尿痛、また度々血尿が見られることもありました。排尿回数は日に日に増し、冷え込む日は120回ほどの頻度となり、外出時も常にトイレの心配をしなければなりません。

 そんな折、Yさんが30歳を迎えた頃、膀胱痛だけではない体各所の痛みが出現し始めました。間質性膀胱炎のため通院していた病院で検査を受けると、医師より「線維筋痛症である」と告げられたのです。線維筋痛症は特定疾患に指定される難病です。

 Yさんは徐々に手足に力が入らなくなり、歩行も杖なしでは困難となりました。軽いものも持ち上げることができず、加えて外部からのちょっとした刺激で激痛を伴うようになり、日常生活に大きな支障をきたしました。

 現在も間質性膀胱炎による排尿痛、頻尿、線維筋痛症による体の痛みは続いており自宅から出ることも難しい状況です。

社労士の見解

 この線維筋痛症は障害年金の事例としてはまだまだ認定度が低く、請求件数も決して多くはありません。基礎年金ということもあり線維筋痛症だけでは審査をクリアできるか不確かだったため、間質性膀胱炎と合わせてはじめて2級の請求をすることにしました。

結果

 障害基礎年金2級の決定となりました。間質性膀胱炎と線維筋痛症、両方の障害の診断書を提出したところ、日本年金機構から線維筋痛症のみで2級に該当し、間質性膀胱炎とは併合しても1級には該当しない旨の回答があったため、間質性膀胱炎の請求は取り下げることにしました。

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【小児麻痺】(60代・男性)

認定結果:障害者特例

発病から請求までの経緯

 Yさんに異変が見られたのは生後1年が経過しようとしていた頃でした。手足に力が入らず、手で人の指を握ったり足が動かないことにYさんの両親が気付きました。すぐに病院で検査を行ったところ、医師より「小児麻痺である」との診断を受けました。

 その後、脊髄注射を試みたり電気マッサージを施しましたが、治療の甲斐なくYさんは幼くして右足全体に運動麻痺が残ったのです。医師からは「回復する見込みはない」と告げられ、その後通院することはありませんでした。

 Yさんは右足全体の筋力が低下しており、長い間杖を使用する生活を送ってきました。足首が外側に向けて拘縮しているため、走ることができず階段の昇り降りも非常に困難です。

社労士の見解

 Yさんは障害者手帳4級所持者でした。すでに特別支給の老齢厚生年金を受けており、障害の状態から鑑みても2級に該当するとは考えにくかったため障害者特例のみの請求としました。また当初、短縮障害(右足)として請求するつもりでしたが、認定基準では10cm以上の短縮が必要です。Yさんの状態はこれに該当しなかったため、下肢障害の総合評価で請求することになりました。 またYさんは何十年もの間この傷病での受診がなかったため、まずは検査が可能な病院を探すことからのスタートとなりました。

結果

 総合評価で無事3級に該当し、障害者特例の決定となりました。

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【網膜色素変性症(第三者による証明)】(40代・男性)

認定結果:障害基礎年金1級

発病から請求までの経緯

 Aさんは出生後、病院の医師より「網膜に傷のようなものがある」と告げられました。その後弱視と診断され、小学校入学後は特別な配慮を受けていました。黒板の字が見えづらく常に一番前の席で授業を受け、体育で球技の時間はボールの動きが見えづらいため常に見学となりました。

 高校生までこのような学校生活が続き、高校を卒業した頃、久しぶりに眼科を受診しました。しかし病名は分からず医師からは「これ以上改善することはなく、悪化する可能性が高い」とだけ告げられたのです。

 Aさんは高校卒業後、一般企業に就職。見えづらさを感じながらも、特に日常生活に支障はなかったため眼科を受診することはありませんでした。

そんな折、知人からロービジョンケアに熱心な医師がいると聞き付け、久しぶりに眼科にて精密検査を受けたところ、初めて「網膜色素変性症である」と診断されました。

社労士の見解

 社会人になってからは眼科から足が遠のいていたこともあり、10代の頃に通院した病院を訪ねましたが、当然30年以上前のカルテはありません。 そこで、平成24年1月より可能となった「20歳未満であった障害による障害基礎年金の請求において、初診日が確認できる書類が添付できない場合に、初診日当時の状況を把握している複数の第三者の証明を取得することにより初診日を明らかにする書類として取り扱う」 という通知を利用することにしました。

結果

 障害基礎年金1級の決定となりました。Aさんは初診が10代の頃にあったため、第三者による証明が必要でした。そのため小学校の担任と中学校の担任及び学年主任の先生方を何とか探し出し、証言をしてもらうことにしました。請求の際は、当時の卒業アルバムの写しを添付し、先生方との関係性の裏付けを行いました。 また、Aさんのように幼少期から見えづらい人はその見え方に慣れてしまい、受診が遅れることがあります。そのため請求する頃には症状はかなり進行しており初診日は何十年も前となるケースが多く見られます。

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【網膜色素変性症(3級事例)】(30代・男性)

認定結果:障害厚生年金3級

発病から請求までの経緯

 Oさんは幼少期の頃より夜盲(暗所での見えづらさ)があり、小学生の頃から常に眼鏡を着用していました。しかし高校生になると裸眼で過ごすようになり、周りの同級生と同じように学校生活を送りました。

 大学生になった頃、夜盲を強く自覚し始めます。夜間外出した際、足元が見えづらいため思うように足が前に進みません。暗い中すたすたと歩く人たちの姿がとても不思議でした。

 大学卒業後、一般企業に就職し、再び眼鏡を着用するようになりました。そして30歳を過ぎた頃、メガネの度数が合わなくなったため久しぶりに眼科を訪れました。その際、医師より初めて「網膜に異常がある」との指摘を受けます。より詳しい検査を受けるため、専門医へと転院。精密検査の結果、医師より「網膜色素変性症である」と告げられました。このときOさんはすでに視野が2分の1以上欠損していました。しかしOさんにその自覚はなく、人より視野が狭いということが分かりませんでした。

 このように網膜色素変性症の方は病気が分かったときにはすでにかなり進行していたといったことが少なくありません。

社労士の見解

 Oさんの場合、初診日は精密検査を行った病院ではなく、メガネの度数が合わなくなったため訪れた眼科になります。初診日もはっきりしていますし、一見簡単な事例のようにも思えます。

結果

 不支給決定でした。 実はこの不支給決定には大きな間違いがありました。Oさんの障害状態は障害手当金に相当する程度でしたが、「治癒しない傷病の場合は3級に該当する」という規定があります。網膜色素変性症は進行性の病気であるため、「治癒しない病気」に当てはまります。
 この旨を不服申立書に記入し、すぐに審査請求をすることになりました。するとすぐに日本年金機構より連絡があり、障害厚生年金3級の決定となりました。 実はこの「傷病が治らないものについては障害手当金に該当する程度の障害の状態がある場合であっても3級に該当する」という規定はあまり知られていないのです。 このように不支給通知が下り、決定に不服がある場合は審査請求をすることができます。

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【緑内障】(50代・男性)

認定結果:障害厚生年金2級

発病から請求までの経緯

 Kさんが眼に異常を感じ始めたのは20代の頃です。大学卒業後、一般企業に就職したKさんは営業職だったため車を使うことが多く、仕事中は常に運転を行っていました。

 入社して1年が経過した頃、夜間運転中にいつもと見え方が違うことに気が付きました。何だか視界がぼやけ、クリアに見えないように感じたのです。Kさんは「仕事の疲れでかすれ目や疲れ目になっているのだろう」と思い、このことをあまり気に留めることはありませんでした。

 そんな折、夜間運転中に右前方から自転車が飛び出してきて危うく接触しそうになったことがありました。Kさんは自転車が突如何の気配もないところから飛び出してきたように思い、自分の見え方に異常を感じ始めました。

 数日後、会社で資料に目を通している際、ふと先日の事故のことが気になり片目を隠して目の前の資料を見たのです。すると突然視界が狭くなり、所々黒い点々のようなものが目に入りました。慌ててもう片方の目を隠してみても同じような見え方です。このとき初めて見え方の異常を強く自覚し、ただ事ではないと思ったKさんは眼科を受診することにしました。そこで医師より「緑内障である」と告げられました。

 Kさんは目の見えにくさを感じながらも、眼科へ通院しながら長期にわたり仕事を継続しました。しかし50歳を過ぎた頃、急激に見えづらさが増し、ついに仕事や日常生活に支障をきたし始めました。Kさんはやむなく退職。その後も症状は進行し、知らない場所への外出は常に不安を伴い、加えて暗所での行動は困難な状態です。

社労士の見解

 Kさんの場合、初診日が20代の頃にあったため30年前の初診証明を取らなければなりません。30年も前の初診となるとカルテは残っておらず、初診証明は困難になるだろうと予想されました。

結果

 障害厚生年金2級の決定となりました。30年前から定期的に通院していたため、カルテは現存しており初診証明を取得することができました。このように30年以上前のカルテが残っているケースは非常に珍しく、廃棄されている場合がほとんどです。

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【うつ病】(40代・女性)

認定結果:障害厚生年金2級

発病から請求までの経緯

 Yさんは小学生の頃から父親が莫大な借金を抱えていたため、常に借金の取り立てに追われるという生活を過ごしました。昼夜を問わず数人の男がやって来ては自宅のドアを何度も叩き、その度にYさんは震えながら部屋で母親と身を潜めました。中学生の頃から人と接することに恐怖を感じ、学校の友人たちともうまくいかず一人で過ごすことが多くなります。

 そんな折、大学へ入学した頃父親が借金を完済。借金取りに追われることはなくなりましたが、精神不安が改善することはありませんでした。耳をふさいでも常に借金取りの声が聞こえてくるような感覚があり、不眠に陥りました。その後大学を卒業し、就職しましたが、症状は悪化の一途をたどります。対人恐怖、無気力、全身の倦怠感が出現し、すぐに退職。

 退職後、Yさんは母の勧めで診療内科を訪れました。これまでの経緯を説明すると、医師からは「うつ病である」と告げられました。

 Yさんは現在も就労不能です。外出することは困難で、家庭内でも料理、洗濯、掃除等は全くできておらず日中のほとんどは自宅で横になって過ごしています。

社労士の見解

 Yさんは最初の請求で障害厚生年金3級を受給しましたが、その後症状が悪化し、等級変更をするための額改定請求を行いました。額改定請求で等級を上げるためには最初に提出した診断書より重いものでなければなりません。実際の症状に沿った診断書を医師に作成してもらうためにも医師と日常生活の状態についてよく話し合う必要がありました。

結果

 障害厚生年金3級から障害厚生年金2級へ等級変更となりました。診断書に加え、別紙申立書に社労士としての視点も交え現在の生活状況を事細かく記入しました。

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【統合失調症】(50代・女性)

認定結果:障害厚生年金2級

発病から請求までの経緯

 Tさんに不眠や食欲不振といった症状が出始めたのは宗教への入信がきっかけでした。宗教の信者の人たちが自宅に頻繁に訪れるようになり、その頃より寝つきが悪く、寝入っても短時間で目が覚めるといった日が続きました。同居する家族のちょっとした生活音や話し声が気になりだし、被害妄想に陥ることもありました。仕事中も集中力が続かず、これまでできていた簡単な作業も突然手順が分からなくなり、その場に立ち尽くすといったことが度々起こりました。

 見かねた両親がTさんを病院に連れて行くと、医師からは「非定型精神病である」と診断されました。その後薬物療法が開始されましたが、Tさんの症状は一進一退を繰り返します。食事や水分はかなり強い調子で言われなければ取ることはできず、炊事や洗濯、掃除といった家事全般は全て家族が行いました。また食事中などに急に立ち上がり家から飛び出そうとするため一時も目を離すことができません。自分の行動を制止されると興奮し暴れ出すこともありました。休みがちだった仕事も退職せざるを得ず、それからは自宅に引きこもるようになりました。

 Tさんの症状は現在も続いています。食事は自発的に取ることはできず、病識が薄いため服薬を拒むこともあり家族の介助は常に必要です。自宅では拝んでいることが多く、家族が話しかけても上の空で意思疎通も困難です。

社労士の見解

 Tさんの場合、認定日請求だったため障害認定日から3ヶ月以内の診断書と現症の診断書を提出しなければなりません。障害認定日は10年以上も前です。原則としてカルテの保存期間は5年と決まっているため、当時の病院が小さな診療所だったこともあり障害認定日当時の診断書作成は難しいものであると予想されました。 しかし、病院に問い合わせたところカルテが残っていたのです。そのカルテを元に診断書を作成依頼し、遡及請求となりました。このように規模の小さな病院で10年以上前のカルテを残しているケースは珍しく、障害認定日が遠い過去にある場合でもあきらめず、まずは病院に確認してみることが大切です。

結果

 新規裁定の結果は認定日の等級が3級、現症が2級該当という判定でした。認定日時点の診断書に記載された症状は現症よりも重く、3級該当は明らかに不自然でした。認定日時点の等級が3級と2級では受給額が倍以上違います。そこで審査請求による不服申立を行いました。判定結果は認定日時点の等級は2級該当に訂正というものでした。

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【広汎性発達障害】(20代・男性)

認定結果:障害基礎年金2級

発病から請求までの経緯

 Nさんは幼稚園の頃から通園を嫌がり、小学校に入学するとさらに登校を拒むようになりました。低学年の間は両親が力ずくで連れていくこともありましたが、高学年になると抵抗が強くなりさらに欠席が目立ちました。担任の先生と相談しても原因は分からず、中学校入学後も不登校は続きました。

 中学卒業後は専門学校に進学しましたが1年で中退。この頃から自宅に引きこもるようになります。外出はほとんどせず食事は別々、入浴は週1回のみ、家族との会話もほとんどありません。時折「死にたい」と口にすることもありました。

 心配した両親がNさんを連れて精神科を訪れました。これまでの状況を説明しましたが、医師から病名は告げられず特に治療法はないとの診断で、精神科に通院することはありませんでした。

 その後何とかできる仕事を探しましたが採用試験はどこも通らず、研修に参加してもその場その場の匂いが気になり長時間の外出は不可能です。Nさんはすぐに自室にこもるようになり、日に日に状態は悪化していきました。

 天井をボーっと見つめぼそぼそと何かをつぶやきながら放心したような状態が続き、幻聴のような症状も表れました。食事もほとんど取らなくなり水分を口にすることもできません。目の焦点も合わず、「死にたい」と何度もつぶやきました。家族が無理に励ますと突然家から飛び出しビルの屋上へ駆けあがり飛び降りようとします。

 このような生活が続き、別病院を受診。医師からは「広汎性発達障害及び双極性障害である」と診断されました。状態はひどく、その場で即入院となりました。入院後は食事を取る等少しづつ改善傾向を見せ、薬物療法や心理療法を行っています。

社労士の見解

 当時入院していた病院に診断書の作成依頼をしたところ、総合判定は(3)となっていました。Nさんの症状は非常に重く、診断書だけでは伝わらない部分があったためご家族から聞き取りを行い、申立書を添付することにしました。

結果

 障害基礎年金2級の決定となりました。当時の兵庫県の審査においては総合判定(3)で年金を受給することはハードルが高く、このような場合別紙申立書で補うことも必要になります。 ※現在は不支給決定における地域差を是正するための新ガイドラインが適用されました。

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【慢性腎不全①】(50代・男性)

認定結果:障害厚生年金2級

発病から請求までの経緯

 Sさんは大学卒業と同時に就職。20代の頃に血尿により医師から急性腎炎を指摘されましたが、その後特別な治療をすることもなく50代まで仕事を継続しました。

そんな折、突然背中に痛みを感じ始め慢性的なだるさが続きます。しばらく様子を見ていましたが、改善しないため内科を受診しました。すぐに腎臓内科へ紹介となり、そこでの精密検査の結果、医師から「Iga腎症である」と告げられます。

 透析にならないためにすぐに薬の服用及び食事療法が開始されました。しかし腎機能の数値は徐々に上昇。Iga腎症と診断されてから数年後、治療の甲斐なく透析が導入されました。現在は週3回の頻度で透析を行っています。

社労士の見解

 S さんの場合、最初に受診した内科とその後紹介され受診した腎臓内科は同病院でしたが、同じ病院であっても科が違えば初診証明の提出は必要です。初診から7年が経過していましたが、カルテが残されており初診証明を取得することができました。
 また、Sさんの診断書を確認したところ、既往症の欄に20代の頃に医師から指摘された急性腎炎の記載がありました。診断書にこのような記載があると、急性腎炎の指摘を受けた30年以上も前の医療機関が初診であると判断されることがあるため、別紙申立書でしっかりと打ち消さなければなりません(社会的治癒を含め検討)。既往症に何らかの病名の記載がある場合は注意が必要です。

結果

 障害厚生年金2級の決定となりました。

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【慢性腎不全②】(40代・男性)

認定結果:障害厚生年金2級

発病から請求までの経緯

 Tさんの腎機能に異常が発覚したのは偶然にも別傷病で緊急入院したときのことでした。入院中の血液検査で医師より腎機能の障害を指摘されました。血圧が異常に下がっており、退院後は治療のため点滴及び利尿剤投与による加療を行います。1ヶ月ほどで状態は落ち着いてきたため復職。

 1年近く特に問題なく日常生活を送りましたが、再び症状は悪化します。日に日に倦怠感が増し、仕事にも支障が出始めました。自宅近くの病院で検査を受けると、蛋白尿を認め、腎機能の数値が悪化していたのです。そこで医師より「慢性腎不全である」と告げられました。すぐに治療を開始しましたが、腎不全は進行。ついに透析を受けなければならないまでに腎機能は悪化し、シャント造設術の施行となりました。Tさんはやむなく退職し、現在も週に3回の透析治療を受けています。

社労士の見解

 Tさんの初診日は平成25年9月2日でした。この初診日から1年半以上経過した平成27年6月から透析治療を開始したため、通常であれば事後重症請求になります。 しかしTさんの場合、面談時のヒアリングによると透析前からかなり数値が悪化しており、認定日である平成27年3月2日(初診日より1年半後)からすでに症状として認定基準の2級以上に該当する可能性が考えられました。
 すぐにTさんが通院する病院に認定日当時(平成27年3月2日~平成27年6月2日)の診断書を依頼しました。 取得した診断書の腎機能数値と認定基準の腎機能数値を照らし合わせると、やはり認定日当時の数値は2級相当でした。そのため透析開始前ではあったものの認定日請求を行うことにしました。 *初診日や認定日は個人情報のため実際の日付とは異なります。

結果

 障害厚生年金2級の決定となりました。さかのぼった期間は数ヶ月ではありましたが、認定日請求により本来受給しなければならない分を受けることができました。 透析を受けていないと障害年金はもらえないと思い込むのは間違いです。透析前であっても腎機能数値次第では年金受給につながることがあるのでご注意ください。

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【脳出血】(50代・男性)

認定結果:障害厚生年金1級

発病から請求までの経緯

 Yさんは仕事中、突然胸の苦しさと激しい頭痛に襲われ、救急車にて緊急搬送されました。ただちに病院でCT検査を行ったところ、医師より「脳出血である」と診断されます。すぐに専門の病院へと移り、入院。入院後心不全をきたし、心臓への負荷を軽減するための利尿剤が投与されます。その後脳内血種を取り除く手術が行われましたが心不全は悪化し、人工呼吸器が装着されました。一時意識不明となりましたが、治療継続により症状は改善。3ヶ月ほどで退院することができました。

 退院後はリハビリのため、別病院へと転院。リハビリ治療を継続しましたが、後遺症により四肢麻痺が残り、車いすでの生活となりました。Yさんは就労はもちろん単身での生活も不可能です。トイレや入浴、外出などすべての日常生活動作において全面的な介助を必要とする状態です。

社労士の見解

 面談のため自宅に伺った際、Yさんはベッドに腰かけており、自力で立ち上がることはできませんでした。状態から見て1級か2級のボーダーラインではありましたが、面談時の様子から1級を受給すべきであると判断し、主治医及びケースワーカーの方と話し合い、適正な診断書の作成に至りました。

結果

 結果、障害厚生年金1級の決定となりました。Yさんの場合、依頼を受けた時点ではまだ認定日を迎えていなかったため待期期間がありましたが、認定日後すぐに請求を行ったため一番早い時期から受給を開始することができました。

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【S状結腸ガン術後リンパ節再発】(60代・女性)

認定結果:障害厚生年金3級

発病から請求までの経緯

 Fさんは会社の健康診断でコレステロールの値が高いことを指摘され、精査目的で病院を受診した際に、偶然S状結腸ガンが発見されました。ただちに入院となり、手術が行われました。術後はすぐに抗がん剤治療が開始されます。副作用による吐き気や食欲不振で思うように食事を取ることができず、外出することも困難です。

 その後も抗ガン剤の投与を継続しましたが、治療開始から1年がたった頃、次はリンパ節への転移が見つかります。自宅でも薬剤を体内に投与できるようCVポート留置術が行われました。その後も副作用は日に日に増し、末梢神経障害の出現により手足は常に氷のように冷たく、水に触れたり、夏は冷房の効いた場所に入ることはできません。

 Fさんはガンが見つかった後休職し、傷病手当金を受給しながら復職を目指していましたがやむなく退職となりました。

社労士の見解

 Fさんの場合初診日が健康診断を受けた日になるため、比較的早い段階で初診日を確定することができました。また抗がん剤の副作用により日常生活に大きな支障があることを申立書にまとめ、請求となりました。

結果

 障害厚生年金3級の決定となりました。受給決定の知らせを聞いたFさんは抗がん剤投与を受けている病院には自分よりずっと重い症状の人が大勢いるのにと驚きを隠せない様子でした。

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